第9回「いじめ・自殺防止作文・ポスター・標語・ゆるキャラ・楽曲」コンテスト
 作文部門・優秀賞受賞作品
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  『 生きることは奇跡の権化』
        


                                                 潮来 七海

 私は、小学校と中学校と、男の子から「ブス」や「頭悪い」、「気持ち悪い」など、数え切れないほどの言葉をかけられたり、靴を隠されたり殴られたり、女の子に対する扱いとは思えない扱いを受けてきた。だからか、いつしか私は自分自身に価値を見い出せなくなり、閉じ込めるようになって、気付いたら学校には通わず、家で一人、閉塞的な世界で生きていた。
 中学二年生の頃、私は遂に自分の手をカッターで切り始めた。切り始めた理由は、もうこの地獄から解放されたい、という刹那の願いだった。切れば切るほどストレスは蓄積され、傷を見る度に自己嫌悪に陥るのに、それでもそれと同時にその傷を見る度に安堵している自分もいた。だから辞められなかった。次第にどんどん依存していき、私の腕は赤く染まっていた。
 それから数ヶ月後、私は医療保護入院という入院形式で、精神科病院で入院した。その際に出逢った主治医は、やさしくて、腰が低くて、包容力があって、誰よりも素敵な先生だった。看護師さんも臨床心理士さんも、全ての医療従事者の方々がやさしくて、とても居心地が良かったし、私や他の精神疾患で悩む患者の為に日々働いている姿を見て、どんどん憧れを胸に秘めていった。そして私も、主治医のように精神科医になりたい≠ニ思うようになり、その気持ちはまるで必然のように大きくなっていった。精神科医になって私が経験したこの辛さ、悲しさ、苦しさ、負の感情全てを生かして、救ってみせたいと思った。だから私は、病室で必死に勉強を始めた。医学部に入る為に、苦手だった理系科目にも沢山手をつけて、勉強した。そして心の体調もすこぶる良くなり、無事退院した。
 しかし、良好な日々も長くは続かなかった。私は家庭内のことでまた気を病んでしまったのだ。茶色く汚れている腕に、完全に縁を切った筈のカッターを向けてしまった。また入院する前の時のように人生に絶望し、生きていく勇気を喪ってしまい、泣かない夜はなかった。夢なんてもうどうでもいいと思ってしまうほど余裕がなく、心は壊れていた。
 しかし、二〇二一年六月。運命が変わった。ネットで出逢った女の子と男の子。女の子のことはAと呼ぼうか。男の子のことはBと呼ぼう。Aは、身体の持病を持っている女の子だった。いつ死んでもおかしくない、という状態なのに、誰よりも強く生きていて、私はそんなAが眩しかった。Aが美しかった。病気があるのは私と同じ筈なのに、それでも真っ直ぐ強く生きているその姿に、私は勝手に嫉妬していた。だけど、そんな私にAは、
「七海の夢もなにもかも、心の綺麗な人代表みたい!かっこいい!」と一言、放ったのだ。Aは、私を誰よりも尊敬、敬愛していると言ってくれた。涙が止まらなかった。彼女はこんな私自身を受け入れてくれ、綺麗と言ってくれた。こんなにも心が震えることはなかった。
 そして、Aと出逢った数週間後にBと出逢った。Bは頭が良くて、しっかりしている男の子だ。私は男の子に凄い抵抗があったから、彼に自分自身の精神状態を伝えることがなによりこわかった。だから、「Bには、自分の元気な一面だけ見せていたいんだ。弱いところとか、暗いところとか重い話じゃなくて、パーって花が咲くような明るい女の子でいたい」と、言った。そしたら、「その花が咲くには太陽が必要だね。俺はその花を照らし、咲かす太陽になりたい。そして咲く花には花弁がつく分、光を多く受ける、明るく振る舞う、それって光を多く受ける分、必ず影が大きくなるんだよ、咲かない花には影の面積も小さいから。」と返ってきた。Aに引き続き、最近私の周りの人はなんでこうも優しいのだと泣いてしまった。嗚咽が止まらなくて、私は彼に弱い部分を初めて見せた。そして受け入れ、辛かったね、と何度も私を支えてくれた。
 ふたりは私の夢や未来に価値を感じてくれている。信じてくれている。私の人生を不幸の色から幸福の色に染めてくれた。頑張ろう、ふたりや入院で出逢った人達すべての人に感謝をし、前を向いて生きていこう、そう強く思った。蓋が閉じかかっていた私の夢が、少しずつ開いていき、今の私は、もう一度精神科医を目指している。
 この世界には、様々な理由で生きていく勇気を喪い、希死念慮に苛まれていく人々がいる。実際に近年自殺者が増加しているグラフがそれを表している。人の心は脆い、まるで硝子のように。元気と見える人も、本当はなにかを抱えていて、必死に笑顔を取り繕っているのかもしれない。友達のあの子も、知り合いのあの人も、きっとなにかを抱えて生きている。
 生きることは、生きていくということは、奇跡の権化だ。
 私は、いつしか必ず精神科医になり、精神の病に侵され絶望の淵にいる人々を救ってみせる。そして、命はかけがえのないとても美しいものであり、綺麗なものだと、証明してみせるんだ。その日が来るまで、私は生きること、勉強も含めて、焦らず、冷静にゆっくりと頑張っていくつもりだ。
 今苦しい人達へ、逃げないことを強さだと思い込まないで。逃げること、立ち止まることは自分を守る大事なことだよ。だから、
「ねぇ、そこの君、私と共に生きよう。」